以前私は愛煙家だった。1日1箱程度か。それなりに吸っていたのである。途中で辞めていた期間があるものの、大学時代の友人たちにまんまと唆されキッチンの換気扇の下でまた吸うようになってしまった。
しかしながら5年前のあの時、世界中でステイがホームだった頃にタバコを買いに出かけるのが億劫になってしまったこと、吸っていた銘柄の味がなぜか突然変わってしまい美味しく無くなってしまったことから禁煙というか、卒煙したのだ。
当時吸っていたのは「Vibes(バイブス)」というオランダのタバコで、タールが結構重めのものだった。(途中で10mg→7mg→9mgと変更になり行きつけのお店の人も戸惑っていたのを覚えている)巻紙が黒くて甘い香りがするからかブラックデビルという銘柄とよく間違えられた。大学時代にテキスタイル棟裏口すぐ側の小さな喫煙所で吸っていたら、たまたま通りがかった非喫煙者の同じクラスの女の子に「それタバコなの?タバコの匂い苦手だけど、それはすごくいい匂いがする!」と褒め(?)られたこともある。
そう、Vibesはとてもいい香りなのだ。ココナッツベースのトロピカルフルーツの甘い香り。「普通のタバコ」の香りを好む喫煙者からはイロモノとして扱われがちな銘柄だったように記憶しているが、私はあの香りが好きだった。フィルターも砂糖菓子みたいに甘くて美味しかったから、それ以外のタバコを吸う理由がなかった。Vibesが販売されなくなったらタバコを止めようと思っていたくらいには。そうしたら本当に一時期輸入されなくなって、その時はまた吸えるようになるまでの繋ぎとしてアークロイヤルのアップルミント(これもメンソールで美味しかった)を吸っていた。…我ながら書いていて説得力の無さが際立つ。
ちなみに以前は街のタバコ屋(KANNAさんが私の行きつけだった)位でしか見かけなかったのだが、最近はドンキでも購入できるようになったので出世したものである。KANNAさんのおばさまたちはこちらから銘柄を言わずとも私の顔を見るなり「今日はいくつ?」と個数を聞いてくれた。卒煙してからは特にお店に顔を出す理由がないため疎遠になってしまったが、もしこのブログを読んでいる愛煙家の方が吉祥寺に立ち寄った際にはぜひレンガ館1階のKANNAさんでタバコを購入して欲しい。店員さんが優しいお店はいつだって素敵だ。
開業してからというものありがたいことに新しい人たちと出会う機会に恵まれている。その中でもデザイナーもされているアーティストの人とすれ違った際にふわっとタバコの香りがして「いいなぁ」と思ったのもあるが、5年越しに吸った理由は、ただあの時の私の判断を確かめたかったからだった。あの時の私は、「タバコは体に悪い」というごく一般的な考え方を少しでも汲んで自分の本当の気持ちをないものとしていなかったか。またあの時世界が混乱した病気(余談ではあるが、以前X上で何の面識もない人物に一方的に思想を押し付けられて非常に気分を害したため、①極端な思想を持ち②自他境界が曖昧、といった二つの要素を併せ持った輩には個人的に良いイメージがないことを予め申し上げておく。)に感染した場合に重症化の一つの要因になり得ること、そういった複数の外的要因でもって私は喫煙することを辞めてしまったのか、それとも私が心からタバコを辞めたいと考えてそうしたのかは、全く異なる性質のものだと思ったから。
家で吸うことはできないから、よく行くカフェの喫煙ブースで5年前と同じVibesを吸った。喫煙ブースだから風もないのに、火をつける時にライターの火が揺れないようにと手で覆う。最初の一口はあまり美味しくない、巻紙の端が燃えているだけだから。肺に入れずにすぐに吐き出す。二口目、そっと口に含んで、そのまま息を吸い込む。肺に重たい異物が入ってくる感覚。肺に入れて、吐き出すだけ。肺から煙を出そうとしているのに、うまく吐き出せなくて気道と口腔が悪寒のように震える。息が苦しい。以前なら難なくできていたことができなくなっていた自分がいた。あれ、と思う。
1本吸い終わっても前の感覚が思い出せなくて、2本目に火をつける。じわじわと視界が狭まっていき、立っていられなくなる。いわゆるヤニクラを起こした。カウンターに手をつきながらその場にしゃがみ込んで、あぁ、バカなことしたな、と思った。あの時の判断を確かめたい、なんてそんなのただの建前で、私はきっと、喫煙者だった当時の自分に戻りたいだけだったのだ。
冷たい風に頬を撫でられながら金星を眺めて吸ったタバコの味。喫煙所のあの気怠げで落ち着く雰囲気。友人たちと次の課題の内容についてヒソヒソ話しながら吸っていたあの時。集合体恐怖症の人が見たら卒倒しそうな、キッチンの換気扇の下にあるステンレスの灰皿いっぱいに、規則正しく積まれる黒いタバコの吸い殻。ヤニクラを起こしながらそういった断片的な過去が記憶の底から引っ張り出される。
結局のところ、Vibesは卒煙した時と変わらず美味しくなくなっていた。あれだけ甘く感じたフィルターが仕様変更によるものかやはり全然甘くないのだ。甘くなくて苦しいのにわざわざ吸うなんて、私にとってはそんなのちっとも意味がない。
そう理解してからようやく、あの時の私の判断は間違いなく私自身が下したものだと安堵した。それと同時に吐き気を催すように気持ちが悪くなってしまって、30分くらいカフェの机に突っ伏してしまう程度には動けなかった。所用が控えていたので吐き気を我慢しつつ、返却台に今後もう吸うことはないであろう18本になったVibesとライターを置いて店を後にした。
所用を済ましてからもなお、服や体についた匂いと口の中と肺に残った空気が気持ち悪くて、大好きだったはずのあの香りから逃げ出したくなって、家に帰ってすぐに着ていた衣類を洗濯機に放り込み、そのまま浴室に飛び込んで全身をシャワーで濯いだ。それでもまだ口と肺の中が気持ち悪くて、Tシャツ一枚で髪も乾かさずに西友の「皆さまのお墨付きチョリソー」をチンして食べた。5本目を食べたところで、ようやく過去の私の陰みたいな鱗たちが剥がれ落ちていって、今の自分にピントが合った気がした。
またあのように気持ち悪くなってしまうのは御免だから、きっと私はこれから一生タバコを吸うことはないのだろう。でもそれは今の私が心から(受け付けない身体になってしまったことも含めて)選択したことだから完全に諦めがついた。私が私らしくあるために、私の人生においてタバコが必要なくなったのは、あの時の私を取り戻すのではなく大切な思い出としてあの美しいままに残しておきなさい、ということなのかもしれない。
まぁ世間がどう言おうが、フィクション描写も含め紙巻タバコを吸っている人は老若男女かっこいい。まさにハードボイルドだ。もう私はそのグループに属することはできないけれど、タバコという文化はなくなってほしくないな、と喫煙ブースに人が出入りするたびに漂ってくる香りが鼻をくすぐるとそう思うのである。
そんなわけで今となってはタバコの吸えない身体になってしまったものの、ふわっと香るあの紙巻きタバコの匂いが好きな私は、今日も喫煙ブースのすぐ近くで軽い受動喫煙を楽しみながらこうして文章を書き散らしている。
…と話が綺麗にまとまりそうだったにも関わらず、今度は自分のできないことが増えてしまった事実がやたらと悔しくて、先日ドクターベイプ3を導入した。それはそれ、これはこれ。あれは煙、これは水蒸気なのだ。
さて、吸った感じはかなりタバコに近い。ニコチンタールゼロにも関わらず、吸えないとわかると結構な精神的ダメージを受ける。やはり今まで私はタバコに含まれるニコチンという物質に依存していたわけではなく、一息つくという習慣に対しての依存だったことがよくわかった。そんなわけで私と同じ、習慣に依存するタイプの皆様におかれましてはベイプをお勧めしておく。また自戒も込めて「依存はほどほどに」とみなさんにもこの場で申し上げておこう。